まずバンドの方々が位置につきます。ギターの方がチューニングをしている様子を細かく観察できるほどの近さです。しかもステージとは名ばかりで、ほ とんど地面は我々と同じ高さ。キーボード・ギター・パーカッション。そして、ヴォーカルの立ち位置だけに誰もいません。ああ、ここにこれからなっちが登場 するのだ、と思うと、何とも言えぬ緊張が僕の中を走りました。それは緊張というより、戦慄に近いものであった気がします。僕は混乱しているといっていい状 態でした。だって、今から、目と鼻の先の「そこ」、マイクを通さぬ息遣いさえ聞こえそうな「そこ」で、なっちが歌うのです。
01.22歳の私
程なく流れたイントロは、バンドのアレンジでもすぐにそれとわかる『22歳の私』。これを聴いた瞬間、走馬灯のように走る想いがあります。待ち侘び
たソロデビュー曲。よみうりランドのイベント。なっちの輝きと真っ白な光が涙で滲んで何も見えなかった、娘。の卒業コンサート。常に進化しているなっちの
歌声、だけど常に変わらない温かさ。歌うことへの想い。それを僕は、もちろん今回もなっちの歌声に感じました。ああ、近くても遠くても、いつものなっち
だ、そのように感じたのではなかったかと思います。なっちはただ一曲の歌いだしで、僕を取り巻いていた混乱をいつものコンサートで感じる温かな空気に変え
てくれました。それも、今度はとびきり親密なものに。
02.Good Morning
パーカッションの方のカウント(…バンド人間としては感慨深い…)から賑やかに始まったのは『Good
Morning』。『ファーストタイム』『セカンドモーニング』の頃の曲は、その曲調・歌詞に関係なく、僕の中で何かしら宿命的な切なさと結びついていま
す。僕の「あの頃」、その僕が見ていたなっちの「あの頃」。立場は違えど、僕も、きっとなっちも、あまりにも不安定な10代の感情をもがいていた時期で
す。そして「今のなっち」が力強く歌うこの曲は、決して過去を回顧するものではなくて、過去の積み重ねの上に今があるのだ、と「今の僕」に思わせてくれる
ものでした。……このあたりの感想は、後半の『愛の種』につながってきますが……。
03.トウモロコシと空と風
この曲では、なっちが通路を歩きながら歌ってくれました。一人一人の目をしっかり覗き込みながら。一瞬でしたが、確かになっちは歌いながら僕の目を
見てくれました。以前、確か写真集の感想でも書きましたが、「目を合わせる」というのは本当に不思議なことです。当然のことですが、僕が相手の目を見てい
て、同時に相手も僕の目を見ていなくては成り立たないのですから。例えば鏡で自分の目を見るとき、鏡の中の僕は必ず僕の目を見ています。当然と言えばもち
ろん当然ですが、しかしこれって、とても不思議なことだと思うのです。
ともかく、なっちが僕の目を見てくれた時、僕もなっちの目を見ていました。そして、なっちの目から感じたこと……それは、「ずっとこうして、あなた
の目を見て歌いたかったんです」ということです。ええ、笑ってください、笑ってください(笑)。でも、これは別に僕だけに限ったことではなくて(当たり前
だ)、全ての人にそんな視線を傾けて、なっちは歌っていたのだと思います。
ただ今になって思うことというのは、なっちは一瞬にして忘れてしまったことでしょうけれど、なっちはあの瞬間、僕の目に何を感じてくれただろうかと
いうことです。少なくとも僕は「ずっとこうして、あなたの目を見てあなたの歌を聴きたかったんです」と思っていました。ええ、笑ってくださいってば!
(笑)
04.夢ならば、05.晴れ 雨 のち スキ
実は『晴れ 雨 のち
スキ』を含めたこの2曲のあたり、僕は完全に陶酔しきっていてまるで何も覚えていないのです。こんなことは今までに一度もありませんでした。どんなに感情
が込み上げてもどこかで理性を保って聴いていて、後で感想を書こうと思えば、いつも何かしら適当な言葉が情景とともに浮かんできたのです。
『夢ならば』に関して、僕は今まで生で聴くたびに、どこかしらそれ以前に聴いた際の印象と比較しながら聴いていました。この難しい曲をなっちがどん どん自分の曲にしていき、新たな表現を聴かせてくれるのがとても嬉しかったからです。しかし、今回はそういう気持ちにならなかった…ということは少なくと も覚えています。それにはバンドという形態での異なったアレンジだったからという理由もあるでしょう。しかしそれ以上に、今回は「曲ごとの表現」というよ りは「ショー全てが一つの表現」という印象だったためだと思います。曲と曲との境目はあるけれど、常に一貫した空気が流れていたのです。もちろん、全編を 通じた素敵な演奏がそれを可能にしてくれたのだと思いますけれどね。
この2曲の間に軽いバンドのメンバーの紹介があったと思います。このことは漠然と覚えています。なっちとバンドの方がステージ上でからむのは、確かショー
開始以来初でした(もちろん、最初からずっと音楽でコラボレートしているのですけど)。これはバンドという関係、その音と音で感じ合う素晴らしい関係を愛
してやまない僕にとっては、なっちが「一ミュージシャン」として他のミュージシャンの方と話しているというのが何かとても嬉しいことでした。「歌手・安倍
なつみ」というより「Vo.安倍なつみ」を感じることができたのです。「Vo.安倍なつみ」の横で「G.青山通り」になりたいなどという願望(妄想)を抱
く僕は、密かにギタリストの方に嫉妬していたりしたのですが(笑)。
06.桃色吐息
高橋真梨子さんのカヴァー。恐らく、素の状態でただ歌詞を朗読しろと言われたら、なっちはきっと赤面してしまうであろうほど「オトナな曲」です。でもメロ
ディーに乗せて歌うなっちは凛としていました。
なっちはいつも、曲に合わせてありもしない虚像を作り出すのではなく、自分の中から曲と波長の合う要素を取り出してきて、それを見せてくれていると 感じます。この曲に関してもいつも通りで、なっちは自分の中の女性としての艶、悲哀といったものを一つにして最大限の表現をしていました。もちろん、たと えば10年後のなっちが歌えばそれらはさらに進化したものになるでしょう。しかし、無理に背伸びをするのではなく、今のままのなっちが最大限の自然な表現 をしたからこそ生まれる儚さのようなものを感じました。「なっちが歌うからこそ現れる曲の良さ」が出ていて、僕が本来あるべきと思っている「カヴァー」に なっていた(これが出来ていない「カヴァー」が巷には多いと感じるのです)ことが本当に嬉しかったです。しかも、なっちからすれば偉大な大先輩である高橋 真梨子さんの名曲で。今後も、数年後でも構わないから、またなっちの歌うこの曲を聴きたいですね。
07.…ひとりぼっち…
以前の記事でも触れていますが(未upです、すみません。近日upします)、この曲で目を閉じて歌うなっちを間近で見て、またその歌を聴いたのは、圧倒的
な体験でした。以前にも書きましたが、いつもなっちはこの曲を歌うときには「内へ向けて」、どんどん自分の心の底へ降りていくように感じるのです。そし
て、何も包み隠さない心の内を歌に乗せて見せてくれます。今回改めて、なにか「凄まじい歌だ」と感じました。タイトル通り、痛々しいほどに孤独な曲です。
そして、いつもリアルな自分で表現する安倍なつみという、ある意味では孤独でタフで、そして儚い歌い手を、とてもよく表しているとも感じました。僕はただ
固唾を呑んでなっちを見つ
め、その歌声に耳を傾けていました。
08.だって 生きてかなくちゃ
「少し切ない曲が続きましたが…」というMCの後、圧倒されたのがこの曲。ギターによって奏でられるイントロを聴いても、何の曲かがすぐにはわからなかっ
たのを覚えています。「ああ、あの曲だ」を思わせる暇もなく疾走するメロディ。バンドのメンバーの確かな演奏、人の呼吸と人肌のリズム。それに調和して揺
らがず、激しく歌うなっち。なっちのみにでなく、あの音を作り出していた4人に叩きのめされました。僕は大好きなバンドのライブに行って、よく「ロックン
ロール=○○、なんていう答えは無いけれど、でも例えばこれは確かにロックンロールなんだ」と感じて嬉しくなることがあります。それは曲調がどうだとかい
う問題ではないのです。なっちは、ステージの4人は、この曲でそれを感じさせてくれました。
なっち、あなたはこれからも、生のバンドで歌うべきです。こんなにもあなたは素晴らしい。
09.愛の種、10.空 LIFE GOES ON
『Good
Morning』の感想と重なってきますが、あの頃の曲を今のなっちが歌うということ。そして、続いて最新の曲を歌うということ。それは過去への回顧や過
去と現在の間の乖離ではなくて、過去があるからこそ今があるということを感じさせてくれました。空がどこまでも続くように、時間はどこまでも途切れず続い
ているのだということ。なっちの歌声が流れるように、時が流れていくということ。あの頃の空へ飛び立った『愛の種』はなっちの中で時を超えて、空を越え
て、たとえば今、僕の前に素敵な『恋の花』を咲かせようとしてくれています。
そんなことを思いながら、これまでのなっちのことを漠然と思い出しました。数え切れない試練。数え切れない喜び。そしてそれらの続きに安倍なつみと いう人はしっかりと立っていて、今こうして僕の前で歌っているのだ、そう思うと、涙が溢れてきました。この上も無く真剣に情感を込めて歌うなっちの表情 は、この上も無く美しかったのです。もしかすると僕は、初めてそのことに気付いたのかもしれません。
11.ふるさと
お馴染みの「楽しい時間は…」のMC、最後の曲という前置きの後で歌われたのはやはりこの曲。もう6年も前の曲なのに、この曲は、この曲を歌うなっ
ちの歌声は、いつもその時の「今までのなっちの全て」を表してくれるように感じます。様々な思い出がこの曲に刻印されているからでしょうか。今までのなっ
ちの道のり全てが、なっちにとっての大切な「ふるさと」なのかもしれないと思いました。そして時にふるさとを想って勇気を奮い立たせ、また見知らぬ場所へ
と旅を続けていくなっち。あなたのように生きていきたい、そう思いました。
もう大半の方がポラロイド撮影と握手を終えて会場を出られた後、僕も腰を上げることとなりました。少し並べばすぐになっちとの撮影です。握手会のよ うなものとは異なり、なっちと数名のスタッフの方が控えている、出口のところにある幕の中に一人ずつ呼ばれる形です。
情けないことに、僕の頭の中はもう真っ白になっていました。スタッフの方に呼ばれて幕の中に入ります。なっちがそこにいます。撮影の担当の方に、立 ち位置を指示されます。撮影までに、僕はなっちと目を合わせたのかどうかも覚えていません。ただなっちがVサインのポーズをしてくれて、僕も慌てて合わせ たのを覚えています。今ポラロイドを見返すと、僕は中途半端なVサインに加え、緊張と嬉しさが極限状態で入り混じったひどい表情です(苦笑)。ああ、自分 が情けない…。
その後握手に。僕はどうせ緊張して何も出来なくなってしまうのが目に見えていたから、二つだけ決めていたことがありました。一つは「必ずこれだけは 伝えよう」というある言葉。もう一つは、絶対になっちときちんと目を合わせて喋ろうということです。当たり前のことですが、7年間も憧れ続けた人と握手を するとなれば、僕にはそれが精一杯だろうと思ったのです。事実、ほとんどその通りでした。
もう僕はこの上なく緊張していました。小さくて柔らかいなっちの手に触れたとき、さらにそれは拍車をかけることになりました。僕は緊張して真剣にな
ると怖い表情になるという自覚があるのですが(笑)、そんな顔をして二十数センチも上から手を握ってなっちを見下ろしていたなんて、思い出すだに頭を抱え
てしまいます。ああ、なんという余裕の無い、器の小さい男なんだ俺は…。
しかし、なっちは微笑んで、優しい目で僕の目をしっかり見てくれました。僕が恐ろしく緊張していて、必死な顔で何か伝えようとしていることを察して くれていました。そして、僕が自分を落ち着かせようと一言ずつ慎重に喋るのを聞いて、いちいち「うん、うん」と頷いてくれました。そして、僕は「これだけ は」と思っていた言葉を、なっちに伝えることが出来ました。
なっちは「ありがとうございます」と言ってくれたと思います。僕が搾り出すように「頑張って」と言い、確かなっちは「ありがとうございます、また来 てくださいね」と言ってくれました。僕は「はい」と答えて、なっちに笑顔を見せようと思ったのは覚えています。本当に笑顔になれていたかは、甚だ怪しいの ですが。
僕はポラロイドを受け取り、出口に向かいます。そして、店を出る瞬間にふと後ろを振り返りました。すると、まだ次の方は幕の中に入っていなくて、 なっちはじっと僕のことを見送ってくれているのです。僕が一方的になっちを見ているのではなくて、僕などというただの一ファンに過ぎない 人間の背中を、なっちはじっと見送ってくれているのです。この時の気持ちは、僕のボキャブラリーでは到底表現できません。ただ、本当に 本当に、本当に感動したとしか書くことができません。そして振り向いた僕と目が合うと、なっちは深くお辞儀をしてくれました。僕は何も言えず、ただただお 辞儀をして、夢か現かという状態で店を出ました。
店の外で先に出ていたS氏と合流しても、僕はもうまともに立っていることができませんでした。大げさなようですが、信じられないほどに足がふらつい ていたのです。
気持ちを落ち着かせながら、徐々に鮮明になっていくポラロイドを見ました。なっちが僕の左腕に寄り添っているなんて、信じられないことです。でも、
確かになっちはそこにいました。なっちの歌を聴き、表情を見て、いつも僕が思い描いていた、いつも僕の心の中に、「ここ」にいたなっち。そのままの人が、
本当にその通りのなっちが、「そこ」にいたのです。僕の感じたことが間違っていなかった、という言い方はおこがましくてできません。むしろ、なっちは何と
誠実に表現して、振舞ってくれていたのかということを痛いほどに感じました。「そこ」にいたなっちは、確かに「ここ」にいた人と同じ人でした。そして、こ
れからもなっちは「ここ」に居続けてくれるだろうと感じて、本当に嬉しくなったのでした。
(後記:2005/09/12)
つい先日書いた記事ですが、少し時間が経って読み返してみても、やはり僕にとって例えようもなく大きな出来事だったのだなと実感しています。MC等には触
れる余裕が無いままに時間が過ぎてしまいましたが、今もステージのなっちの姿が鮮やかにまぶたに焼き付いています。
なっちとのツーショットの写真は、あの感動をよみがえらせてくれます。そして、写真を見た後で目を閉じれば、あの時感じた、そこには写っていない
なっちの美しさをも感じることが出来ます。
写真には写らない美しさがあるから…